愛するものがありません、見つけたい

誰にも選ばれたことがありません

二度と飛行機でひとっ飛びするもんか

在宅リモートワーク期間&転職期間で必死にニート生活と仕事探しに追われた11月だった。

タイミングよく面白そうな会社に就職が決まり、あとはのんびり引き継ぎをすればいっか〜なんて能天気にニート生活を優先して映画に読書に勤しんでいたら、退職日前日が死ぬほど忙しかった。

そんな私は次の仕事先が決まってすぐの11月下旬、リモートワークの身分を有効活用し実家の広島に帰省していた。

 

そんな時にふと思ったのだ。

まず東京ー広島の新幹線の費用の高さ。早特や割引を使えばギリギリ3万ちょいくらいで往復チケットを買えるらしいが、「来週行こう〜」なんて計画性ない奴が行こうとすると余裕で4万弱かかる。恐ろしい。しかも拘束時間は4時間。これまた恐ろしい。4の呪いである。

そこで、頭によぎったのが飛行機だった。海外旅行の機会も疎く、思えば高校の修学旅行の沖縄へのフライトくらいしか経験がなかったが、当時は本当に文字通りひとっ飛びで、しかもLCCの介入で往復2万くらいで「これは良い時代になったな」なんて呑気に思いながらチケットを購入した。往復で。(これはのちに後悔する)

 

さて飛行機慣れしていない私は早速「飛行機 初めて」「飛行機 荷物 機内」なんて検索して、割と小心者の性格をだしながら準備しつつフライト当日を迎えた。

京成ライナーにも初めて乗ったし、なんなら成田空港も初めて行った。でもYOUTUBEで成田空港国内線の動画は予習してきたし問題ないと思ったし実際問題なかった。

「お腹空くかな」なんて思い、空港内のフレッシュネスバーガーでチーズドッグとオニオンフライを食べて搭乗ゲートでのんびり能町みね子の「逃北」を読んでいたら、早速搭乗時間がやってきた。

 

チケットをいそいそともぎる春秋空港のお姉さんは目だけが笑っておらず、それでも綺麗だな〜なんて感想を思いながら、飛行機への階段を上った。

割ともうこの時点で心臓の鼓動が早くなっていっているのが自分でもわかっていた。

 

私は割と「病は気から」体質なのである。大学時代に献血カーがきていた時に「献血しよ〜」と友人に誘われ適当に献血したあと、「脱水になるので必ずこのペットボトル飲料分は飲みきってね」と看護師さんに言われ渡されたペットボトルを見つめて、「これを飲まないと脱水になるのか」と不安になった。すぐに飲み干して、次の授業に出ていたら、案の定不安が差し迫ってきた。

「脱水症状ってどんなのだっけ」「500ミリ飲んだから大丈夫だろう」

結局「病は気から」のせいで脱水症状を起こし、授業を抜けてトイレで一人朦朧としていた。それくらい不安が体質に現れやすい。

 

さて自分のシートを探すと、これがまた狭い。新幹線慣れしている私にとっては膝プラス拳1個分くらいのスペースしか足元にはない。

「飛行機は窓際で景色を見よう」と思っていたが、これまた新幹線慣れしている私にとって窓の小さいこと小さいこと。

それでも出発のアナウンスまではこの胸のドキドキがワクワクなんだとばかり勘違いしていた。

 

「間も無く離陸に入ります」

混み合う飛行場で15分程度の離陸時間の遅れを出しながらも、私の乗っている飛行機もようやく離陸のタイミングが来たらしい。ブザーがなって、なんだか緊張感に包まれる。言い忘れていたが、通路を挟んで私の斜め前には赤ちゃんを抱きかかえたお母さんがいた。この親子連れを見て、5分に1回くらいは癒されていた。

照明が落とされ、スピードを上げて来た。そういえば離陸の時はジェットコースターのようなGがかかるらしい。浮遊感のようなものだが、大丈夫だろうか。私は高校の卒業旅行や大学の旅行で行ったディズニーのタワーオブテラーでトラウマになったけれど、飛行機のGとはどれくらいだろう。そんな不安を増す思い出を巡らせていた時に、奴はきた。

 

「G」だ。

 

平衡感覚が失われ、急に前進していく機体に頭と心が追いつけなかった。あと体も追いつけていない。内臓だけついて行っている感じだ。ギュイイイイイインと私の体が悲鳴を上げている気がする。同時に視界が揺らいでめまいがやってくる。

「私これ死ぬの?」

逃げ場のない空間、飛行機。なんども不安な揺れが続き、その度にめまいが起きる。離陸が終わると照明がついて、なんとか深呼吸をして心を落ち着ける。「そうだ、景色を見よう。今の時間は夜景だろうな」なんて外を見て、窓際の席を取ったことを後悔した。

 

私は「高所恐怖症」だった。

 

浮いていることの恐怖、逃げ場のない恐怖、どうしようもない不安感。そしてその全てがあと1時間半程度続く絶望。

理論上は飛行機が浮く仕組みやその安全性をしっかりと、入念に頭に叩き込んできたつもりなのに、まさに文字通り「恐怖」が勝っていた。できることなら「今すぐ降ろしてくれ」と言いたい。けれど降ろされたらひとたまりもない、空の世界。どこが快適な空の旅なんだと文句を言ってやりたくなった。

 

そんな私にも希望はあった。能町みね子の「逃北」だった。文庫本だが、まだ半分も読んでいない。ゆっくり読めば、これで気がまぎれるだろうと、本当に着陸までずっと本を読んでいた。能町みね子は心が荒れると北へ逃げるらしい。沖縄でも最北端を探すし、なんならグリーンランドまで行っていた。基本的には東京から東北や北海道への記録なのだが、その中で飛行機を使っていた。でも飛行機の描写はほとんどない。

 

「ひとっ飛び」で終わってしまうのだ。

 

飛行機が怖くない人なら、それくらいの時間と思い出の薄さなのだろう。読んでいるときに「ひとっ飛び」という言葉が出てこようもんなら、自分の今の「飛行機拘束状態」を自覚させられてしまうようで、ため息をついた。そしてバカなので「景色でも見よう」と思い、またため息をつく。高所恐怖症だから。

 

さて、そんな私にも解放の時間がやってきた。「着陸」だ。はてさて、離陸があれだけのGだったのだから、しかも下に落ちていくのだから、相当な覚悟が必要だ。そう思い癒しの赤ちゃんを見るとスヤスヤと眠っている。私も眠れるもんなら眠りたいぜ。

また前の座席の隙間を見ると、スーツを着た男性がガッチリと肘掛を握っている。ああそうか、この人もちょっと怖いんだな、なんて思うと同胞だと思ってしまう。私も肘掛をガッチリ掴み、足を踏ん張って着陸を待った。

 

「着陸に入ります」

 

アナウンスとともに照明が下がると思いきや、「乱気流を通るので少々機体が揺れる恐れがあります」なんて付け足しをするもんだから、無駄な不安を生みながらも耐えた。必死にGを待った。

 

Gが来なかった。

 

来ないうちにあっという間に機体は着陸していた。その瞬間だけ私は記憶を失ったのかな?と思うくらいいつの間にか地上にいた。

 

何はともあれ、私はもう二度とひとっ飛びするもんかと思った。

けれどあの短時間のフライトで2万は安い。なんなら佐賀にも行けるらしい。友人や家族に飛行機のコツを聞いて、「一人で乗るから不安を発散できない」説にたどり着き、一人でフライトは乗らない、という最低条件を導き出した。

 

結局、帰りのフライトは払い戻しをして(LCCなのでほとんど帰って来ない)新幹線でひとっ飛びして帰って着た。

 

お疲れ私。