愛するものがありません、見つけたい

誰にも選ばれたことがありません

3度目のターニングポイント

とうとう退職の旨を伝えた。

長かった。これまでを振り返ってみたい。

 

12月に入社して、はじめからみんなの期待が高かった。前任もとても能力のある人で、けれど気遣いは全くできなかったからそこのカバーも私に期待された。入社して初月だったから、少し失敗しても笑って許してくれた。これから覚えていけばいいよって。

それから1月、2月となり、任される仕事がどんどん増えて、時間に追われる日々となった。平日は通常通りの仕事をして、土日も常に会社の携帯を手放せない。今思うとON/OFFの切り替えが全くできていない生活が辛かったんだと思う。

3月頃からイベントの準備や仕事がもっと増えて、「なんでこんなこともわかんねえんだよ」「前に言ったじゃん」「察しろよそれくらい」、そんな言葉が増えて来た気がする。それでも「私が出来損ないだから」「気遣いができないから」とひたすら謝って、どうにか認めてもらおうと頑張った。

4月、大型のイベントに出張した時、夜遅くまで準備をしていた時、とうとう大声で私の名前を呼び捨てにされた時、「あ、無理な人だな」と思った。それもあったし、深夜過ぎての準備なのに毎日毎晩居酒屋で接待するのもきつかった。相手先の女の子とも「深夜1時に終了してそこから居酒屋ってやばいよね」なんて話しながらも、私たちには拒否する権力はないからついて行くしかなかった。結局毎回3時くらいにホテルに帰って朝は7時集合とかだから、「3時間くらいしか休めねえ〜」とか言ってたのを聞いて「ばかじゃねえの?」って思った。

それから5月を過ぎて体調を崩すことが多くなった。ずっと熱が下がらない。食事をしてもすぐ吐いてしまう。でもこれは私が頑張っている証、体がまだ追いついてないんだと思って休み休み頑張った、怒鳴られながらも、自己肯定感がゼロになりながらも「絶対にやめてやるもんか」「ここでやめたら負けだ」と思ってしがみついていた。

 

そんな時、仲の良かった先輩が一人急に退職した。病んでいた。気づいていたけど、気づけなかった。その先輩について「あいつ診断書とか持って来たんですよ」「うちでダメだったらどこもダメっすよね」なんて取引先に愚痴っているのを聞いて、心底軽蔑した。

 

そしてまた仲の良かった女の先輩もやめた。彼女は会社ではぶられていた。仕事が回ってこなかった。影で悪口を言われ、メンバーがその女の先輩のことをひどい言葉で悪口を言っていたのをつい見かけたことがある。何も言えなかった。最後まで彼女は空気のような存在で去って言った。

 

そして私は今日、退職の旨を伝えた。このまま続けたら、自分で死ぬか過労死のどちらかだと思った。ベッドに体が縫い付けられたように起き上がれなかった。一番心配をかけたくなかった母に連絡した。はじめは事情を説明していなかったから、「もう少し続けてみたら」とはいわれた。ちゃんと説明したら「早く辞めるべき」と言ってくれた。客観視してくれる存在は大切だと思った。

 

昔話を聞いた。私が生まれて間もないころ、慣れない職場で父がノイローゼになったらしい。私と同じように、真面目で不器用で抱え込んでしまう父は、多忙ゆえに毎日同じ食事を一食しか取れず、体の不調が出て来て、しまいには「死にたい」と言うようになったそうだ。そんな父を見て、幼い兄と生まれたばかりの私を抱えた母は「職場であなたの代わりはいくらでもいるけど、この家族で代わりはいない。私が話をつけてくるから上司の名前を教えて」と伝えたらしい。なんて強い人なんだと思った。流石に父も

「それはやめて」と慌てて、自分で異動届を出した。何も考えていないと思っていた父にも、そんな苦労した時があったと思うと、私は母と父の娘なんだなあと思った。

 

長くなったけれど、私は今日も生きている。

さっき、冷蔵庫に放置したままの食器が洗えた。綺麗になったのと同時に、これまで汚れたまま放置してしまったいたことに後悔した。それだけ自炊ができていないんだと思った。

 

これからどうなるかはわからない。時の流れに身を任せ、たゆたうように生きて行くしかない。